2025年11月22日土曜日

.1333〜あらためて「ロックオン!!」

川崎ブレイブサンダース。地元のチームの浮き沈みをリアルタイムで観られて、うーん…となってしまう日々です。  

ある記事に、選手が「コミュニケーションをあまり取らないコーチ。僕らのほうから話しかければ応えてくれるとは思うんですけど、彼のほうからは少ないので正直、何を考えているかわからない」と語っていました。成績不振の原因を探ると、そこに「自立・自律を育てる立場」としての難しさがあるように思えます。ライターの永塚氏も、記事の中で慎重に言葉を選んでいる様子が伝わってきました。  

勝てない原因は、戦術や技術だけではなく、コミュニケーションのあり方にもあるのかもしれません。けれど、だからこそ選手たちは自分たちで声を掛け合い、チームをつくり直していく力を試されているのだと思います。  

ブースターとして大切なのは「負けを見届ける覚悟」と「未来を信じる力」。勝敗に一喜一憂するだけでなく、挑戦を支える存在でありたい。声援は、選手の自律を後押しする環境そのものです。  

今は苦しい時期でも「次こそは」という期待を胸に、ポジティブに応援を続けたい。川崎の街とともに歩むチームだからこそ、浮き沈みをリアルタイムで共有できるのは幸せなこと。勝利の瞬間を迎えたとき、その喜びは何倍にも膨らむはずです。  

教育現場でも同じように、子どもたちの成長は「勝ち続けること」ではなく「失敗から立ち上がる姿」にこそ価値があります。ブレイブサンダースの歩みも、まさにその姿を私たちに見せてくれているのだと思います。  

2025年9月2日火曜日

.1332~腰痛と仲良く~

 

寝る前3分で腰が軽くなる。ベッドでできる簡単ストレッチ習慣

日々の忙しさの中で、腰の重だるさを感じることはありませんか?
私自身、小学校の現場と家庭の両立の中で、夜になると腰に疲れがたまっているのを感じます。
そんなときに出会ったのが、“寝る前にベッドでできる腰ストレッチ”。
特別な道具もスペースもいらず、静かな夜に心身を整えてから寝られるよう気をつけてます。

🔹 ストレッチ①:膝倒しで腰をゆるめる

仰向けで膝を立て、左右にゆっくり倒すだけ。
腰の緊張がほぐれ、呼吸も深くなります。

🔹 ストレッチ②:お尻と太もも裏を伸ばす

片足を反対の膝に乗せて、軽く引き寄せるポーズ。
腰痛の原因になりやすい中殿筋をほぐせるので、翌朝の動きが軽くなります。

🔹 ストレッチ③:ドローインで体幹を整える

お腹をへこませて呼吸を整えるだけ。
腰椎の安定性が増し、反り腰の予防にも。静かな夜にぴったりの“内側の筋トレ”です。

🌙 まとめ

寝る前の数分間、ベッドの上でできるこの習慣は、腰のケアだけでなく、心のリセットにもつながります。
「今日もよくがんばったね」と、身体に語りかけるような時間。
そんなストレッチ習慣、あなたの夜にも取り入れてみませんか?

📺 関連動画リンク

2025年8月25日月曜日

.1331~ 「承認欲求お化け」と教育者の自己表現:日常を哲学する試み~



「とはいっても、ブログに書きたくなる承認欲求お化けがいるんですよね。」


最近読んだ『ラーメンと瞑想』(宇野常寛)をきっかけに、自分の中にある“孤独”と“欲望”について考える時間が増えた。ラーメン屋で一人で食べる時間、瞑想で自分の内面に沈潜する時間——どちらも、他者との関係を断ち切るのではなく、自分自身とつながるための「孤独」だと感じた。


私は、昭和的な価値観の中で生きてきた。結婚して、子どもを育てて、戸建ての家を持ち、車もある。家族5人での暮らしは、日々の体験や旅行を通じて、子どもたちの成長を支える場でもある。教育者として、父として、私は「誰かのために在る」ことを軸にしてきた。


しかし、SNSや情報の氾濫は、常に「何者かになれ」と唆してくる。目立て、成果を見せろ、自分を定義しろ——まるで人生がプレゼン資料かのように。そんな時代の空気に、私は危機感を覚える。  

それでも、ふとした瞬間に「自分の考えを誰かに伝えたい」とも思う。それは、教育に携わる中で、少しずつ積み重ねてきた考えと、ひとりの人間としての承認欲求が交差する瞬間だ。


「承認欲求お化け」は、敵ではない。  

それは「誰かに届いてほしい」「自分の存在を確かめたい」という、根源的な欲求だ。  

問題は、それをどう扱うか。  

今回の記事を書いてる時に考えた事は


- この文章は、誰かの孤独を少しでも軽くできるだろうか?  

- この気づきは、家族や子どもたちの未来にどうつながるだろうか?  

- この承認欲求お化けは、何を怖がっているんだろうか?


そうすると、ただの「発信」ではなく、日常を哲学する営みになるのではないかと思った。  

教育者が自分自身を教育する場にもなる。


「何者かになる」ことよりも、「何者でもない自分と向き合う」こと。  

それが、今の時代を生きるための知性かもしれない。  

そして、承認欲求お化けと手を取りながら、自分の歩幅で言葉を綴ること ——それが、私にとっての自己表現なのだと思う。

2025年8月6日水曜日

.1330~戦争や原爆を“自分事”にするには?——今の子どもたちへの伝え方と特別活動の可能性~

毎日暑いですね。どうか無理せず、エアコンをつけて涼しく過ごしましょう。

今日は——せめて今日くらいは、少し立ち止まって考えてみたいと思い、書いています。

教員として。そして一人の親として。

歴史を“知る”だけで終わらせないために
第二次世界大戦、原爆投下、そして外国との価値観の違い——こうしたテーマは、社会科や歴史の授業でよく取り上げられます。けれど、今の子どもたちにとっては「遠い過去」「自分とは関係のない話」として受け止められがちです。

戦争を体験していない世代にとって、それを「自分事」として考えるのは容易ではありません。ですが、未来を生きる子どもたちだからこそ、「これからどうするか」を考える意味がある。その思考のきっかけになる場として、私は特別活動の意義に注目したいと思っています。

特別活動だからこそできること
教科は「知識を得る」場(対話的・深い学び云々はさておき)ですが、特別活動は「気づき、考え、対話し、行動に移す」ための場です。特に平和や人権といったテーマは、実感や感情を伴った体験的な学びによってこそ心に深く刻まれます。

実践例
・語り部の話を聞く会 体験を直接聞き、そこから「平和とは何か」を考える機会に。

・折り鶴やポスター制作による発信 平和への思いを、創造的な表現を通して形に。

・被爆者への手紙を書く活動 他者の痛みに寄り添い、自分の言葉で思いを綴る練習に。

・価値観の違いについて考えるワークショップ 「なぜアメリカでは原爆投下が正当化されるのか?」など、多様な視点を議論する場に。

…。学校行事として扱えないものでしょうか。広島や長崎では今日、登校日として平和への思いを共有する動きがあります。他の自治体では夏休み期間。指導するタイミングや方法が難しいという現実も、どこかにある気がします。

今の子どもたちに響く伝え方のヒント
過去の出来事を「自分事」にするために、子どもたちに届く工夫が必要です。

・物語を通じて心に訴える 『ちいちゃんのかげおくり』『はだしのゲン』など、感情移入できる教材を活用。

・映像や写真による臨場感の演出 被爆地の記録映像や風景を通じて、歴史を“体感”する。

・「今の平和はどう守れる?」という未来への問いかけ 過去を学ぶだけでなく、自分たちの未来を考えることで、主体的な学びにつながる。

・異文化理解を促す視点 外国の教科書の記述を比較し、国際的な視野で平和を見つめる。

…。教科横断的な学びとして、教科で培った知識の「出口」として、特別活動や学級活動で取り扱うことができるのではと思います。

歴史を未来へつなぐ学びとは
戦争や原爆は、単なる知識ではなく、「人間の尊厳」や「これからの生き方」に関わる深い問いです。

教科で知り、特別活動でつかみ、さぐり、見つけ、決めて、自分の行動へとつなげていく——。その学びのサイクルが成立したとき、子どもたちは過去から未来への橋を渡る存在となるはずです。

大人にできることは、その橋を支える足場を丁寧に築くこと。そして、一人ひとりが「自分事として平和を考える」学びの場を用意することだと思います。

教員として、私もまだまだ学びの途中。子どもたちや我が子と共に、これからも考え、歩んでいきます。



2025年7月29日火曜日

.1329~音楽と対話が交差する場所──DEADPOP FESTIVALの魅力とMAHの哲学~


灼熱の太陽の下、川崎の空に響き渡る轟音。雑多で自由で、時に攻撃的で、それでもどこか温かい(個人的なの感想です)──そんな音楽が一堂に会する場、それがDEADPOP FESTIVALだ。ジャンルや世代を越えて集まるオーディエンスの熱狂と、アーティストたちの本気がぶつかり合う空間には、音楽による“共生”と“対話”の種が確かに根付いている。

このフェスを主催するSiMのMAHは、ただのフロントマンではない。彼はジャンルを越えて様々なアーティストを招き、独自のカラーを作り上げてきた。その選定には明確な意志と戦略がある。ロック、メタル、パンク、ヒップホップ──あらゆる音楽が混ざり合い、共鳴し合う場を実現することは、MAH自身が長年世界へと進出し続け、音楽と格闘してきた証であり、SiMとして築いた信頼と覚悟の結果だ。

コロナ禍の開催だった2021年。あのときMAHは叫んだ。

「オリンピックは1万人入れてるのに、こっちは5000人。ちゃんとルール守ってやってんだよ。」

その言葉はただの報告ではなく、音楽の場が「真面目に、誠実に」運営されていることへの誇りであり、社会的な場としての責任の表明だった。音楽が軽視されがちな中で、「俺たちにも守るべきものがある」という姿勢を明確に打ち出した瞬間だった。

感染対策、人数制限、綿密な運営。それでも「音楽を止めない」ために彼が掲げた矜持は、多くのファンの心を震わせた。

観客同士、アーティスト同士、そして主催者との間に芽生える“共感”や“敬意”こそが、このフェスの真価であり。やはりライブである。是非、生で観て、聞いてほしい。

2025年のフェスに参加して強く感じたのは、DEADPOP FESTIVALが「信用できる場」であり続けていること。そして、それを率いるMAHの姿勢が、一貫して“真面目なフェスづくり”に向いていること。
(ただ、サークルモッシュ、ダイブは非常に多い。主催者は「悪魔」なので。)

そして、2025年には「来年は春開催に変更する」と明言。2日参加したが、たしかに暑すぎた。
ただ、教育現場で働くものにとって入学式前は、忙しすぎる。

でもチケットはもう購入済みだ。

春開催に向けて、どんなアーティストが集い、どんな新しい音楽体験が生まれるのか。MAHの音楽への愛と対話への姿勢を通して、これからのDEADPOP FESTIVALがさらに豊かで多様な場になっていくことを期待したい。

2025年7月20日日曜日

.1328~ 教室から見る2025年参院選──「民主主義の沈黙の声」と若者たち~

齢45なのですが、『「若者が」参政党を選んだ』というニュースを聞いたとき、私は違和感を覚えた。  
それは参政党が声高に述べてた「日本人ファースト」という言葉の響きにあるのかもしれないし、投票率急上昇という現象の背後に潜む“沈黙している4割”の存在を感じたからかもしれない。

民主主義とは、誰の声を聞こうとする営みなのか?

今回の選挙で確かに投票率は57%まで上昇した。  
街頭演説がSNSで拡散され、10代〜30代の一部が参政党を支持した背景には、“わかりやすさ”と“怒り”があるように思える。  
その一方で、投票に向かわなかった4割の人は、いったいどんな言葉を待っていたのだろう。

「日本人ファースト」に違和感を覚えた理由

教育現場で働く私は、“誰も置き去りにしない”という理念に立っている。  
「日本人」という枠が持つ曖昧さ。そこから排除されるかもしれない子どもたち。  
多様性を掲げるカナダやスウェーデンの教育制度は、「違いは分断ではなく資源だ」と語る。  
それに比べ、私たちの社会はまだ“関係ある/ない”の境界線に揺れている。

若者の政治参加は希望か、警鐘か

投票した若者は希望だろうか?  
一方、SNSに反応はするのに、投票所へは向かわない層も多い。  
「いいね」と「投票」──この間に横たわる現実的な距離は何か?  
制度への不信感、生活との優先順位、情報への接続性。その一つひとつが「民主主義の温度」を左右する。

教室で問いたい:「聞こえていない声は、誰の声か」

政治的リテラシーは、正解を教えることではない。  
それよりも、「どう問いを立て、誰の声に耳を傾けるか」を実践すること。  
授業で「なぜ投票しない人がいるのか」と問えば、子どもたちは沈黙の意味を考え始める。  
問いはいつも、未来への鍵になる。

2025年7月19日土曜日

.1327~教室の多数決が政治への無関心を育てている?~政治に無関心な国民はどこで育ってきたのか~


「多数決で決まったから、それに従いましょう」

 日本の教室では、そんなフレーズが当たり前に使われています。けれども、この言葉の裏側にあるのは、本当に民主主義なのでしょうか?
 元麹町中学校校長・工藤勇一氏は「教室における安易な多数決が、政治への関心を育てない要因になっている」と指摘します。

安易な多数決が生む“乱暴な民主主義”

 「団結を目標にしよう」という学級会は、一見協力を促すようでいて、団結できない子の声を置き去りにしてしまう危険性を含んでいます。
 社会には障害を持つ人や少数派が存在します。にもかかわらず、話し合いの場で多数決に偏った決定を繰り返すことは、排除の空気を再生産してしまう可能性があります。

特別活動が育む“合意形成と実践”の力

 文部科学省の学習指導要領でも、特別活動では「合意形成と実践」が強調されています。
 A案とB案で意見が分かれた時こそ、民主主義的な話し合いが必要になります。誰がどの案に困っているのか、なぜ困るのかを掘り下げる時間が、政治への関心と関与を育てる教育につながるのです。

教室で育む折り合いの力

 話し合いとは、単なる意見交換ではなく、違いを受け止めたうえで新しい答えを探すプロセスです。そこで大切なのが「折り合いの力」です。
具体的には:
合体させる:異なる案の良い部分を融合して新しい案を作る
折衷案を練る:互いの希望を調整して妥協点を探る
譲る判断:こだわりを見極め、目的に照らして譲る姿勢を持つ
目的に戻る:「何のための話し合いか?」を再確認する
 これらの力を日常の教室で育てることが、将来の市民意識を培う土壌になります。

民主主義を育てる場所としての学校

 議会制民主主義は時間も手間もかかります。それでも、子どもたちが「納得するまで話し合う経験」を積むことで、大人になっても政治に関心を持つ可能性は広がります。

 教室は民主主義を学ぶ最初の場所。教員はその設計者です。話し合いの問い方・進め方を少し変えるだけで、教育の質はぐっと変わります。

まとめ:誰一人置き去りにしない話し合いから未来が始まる

 多数決には便利さがあります。しかしその使い方によっては、誰かの声を排除する結果につながることもあるのです。
「折り合いをつけながら納得する話し合い」を、日常的に積み重ねること。それこそが政治を身近に感じ、より良い社会を自分たちでつくろうという力につながるのではないでしょうか。

明日は投票行って外食してきます。