2025年6月27日金曜日

.1325“殴り合い”ではなく“話し合い”で生きるために~教室の中で育てる対話と共生の力~

教務主任としての役割を担いながら、突然担任業務まで兼ねることになった。この状況は、「学校」という職場が教育者に課している構造的な矛盾を象徴しているように思う。企業であれば、初任者を最前線に立たせるなどありえない。だが、学校現場ではそれが当然のようにまかり通る。マンパワー不足が常態化し、働き手としての視点が欠落している。それが、今の教育現場の歪んだリアルだ。

そのうえ、教員の仕事は「属人化」している。保護者からは「あの先生は〜」といった人物評が飛び交い、同じ学校内でも方針や接し方にばらつきがある。その背景には、「授業がナンボ」という価値観が根づいている。たしかに授業力は教員の核だが、それだけで評価が決まってしまう風潮は、若手にとってプレッシャーでしかない。そしてベテランとの力量差や、資質・能力の違いが強調されすぎると、協働よりも孤立が進んでしまう。

だからこそ私は、教科と特別活動という“両輪”で教育をとらえたい。国語や算数などの教科が子どもの知的成長を促すなら、特別活動は人としての在り方、生き方を学ぶ場だ。行事や学級活動を通して子どもたちは、他者と協力し、話し合い、共に決める経験を積む。それは単なるイベントではなく、学級・学年・学校の経営にも繋がる教育の根幹だと私は考えている。

世界を見れば、戦争や分断のニュースが絶えない。結局のところ、「話し合い」か「殴り合い」か――究極的にはそのどちらかでしか物事は動かないという冷めた現実がある。でもだからこそ、「話し合える力」を育てる教育の意味が増している。特別活動を通じて子どもたちが“合意形成”や“共生共働”の精神を学ぶことは、小さな教室の中で平和をつくる営みでもある。

教育とは、単に教えることではなく、社会を創ること。その理不尽と戦いながらも、現場でその希望を実現しようとするすべての教師たちに、敬意と光を送りたい。

2025年6月23日月曜日

.1324~【対話から見えてきた未来】政治とテクノロジーと、私たちの選択~

 2025年梅雨はどこへ?というような夏の日。都議選から参院選へと、日本の政治は大きな節目にある。


そんな中、ふとした好奇心からAIと話し始めた。名前は「Copilot」。質問に答えるだけでなく、まるで思考の相棒のように、対話を通じて私の中にあった疑問や関心を、少しずつ言語化してくれた。


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都議選から見えた、日本の“変化の胎動”


・都民ファーストが第1党に返り咲き、自民党が歴史的な敗北  

・無所属や新興政党の健闘。特に国民民主や立憲の伸長が印象的  

・注目の新党「再生の道」は議席ゼロも、大きな話題に


選挙結果を振り返る中で、私は「チームみらい」という政党の名前を思い出した。安野たかひろさん率いる、テクノロジーを軸に据えた新しい動きだ。


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テクノロジー×政治の可能性


チームみらいのように「AIと対話できるマニフェスト」や、「1%の革命」という発想は、私にとってワクワクする響きを持っていた。そしてAIとの対話を通じて気づかされたことがある。


> 日本は変化を避ける文化がある。でも、それを打破できるのもまたテクノロジーかもしれない。


農耕社会の名残や集団主義、慎重な政治文化。そうした「動きにくさ」は決して思い込みではなかった。でも同時に、AI、電子投票、ブロックチェーン、業務自動化ツール…新しい技術が背中を押す力を持っているのも事実だ。


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変化は“向こう”からは来ない。“私たち”から始めよう。


Copilotが言ってくれたひとことが、心に残っている。


> 未来は、つくるものですから。


選挙のニュースに疲れて、どうせ何も変わらないと冷めるのは簡単だ。  

でも「自分にできることを少しでも考えてみる」――その姿勢こそが、変化の種かもしれない。


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さいごに


今回のAIとの対話は、予想以上に濃く、面白く、考えさせられる時間だった。  

政治や社会に向き合うのに疲れたとき、自分の考えを整理したいとき、言語化の相棒がそばにいるのは、案外心強い。


次に投じる一票は、ほんの少し違う気持ちで、ほんの少し深い確信を持って、投じられるような気がしている。