教務主任としての役割を担いながら、突然担任業務まで兼ねることになった。この状況は、「学校」という職場が教育者に課している構造的な矛盾を象徴しているように思う。企業であれば、初任者を最前線に立たせるなどありえない。だが、学校現場ではそれが当然のようにまかり通る。マンパワー不足が常態化し、働き手としての視点が欠落している。それが、今の教育現場の歪んだリアルだ。
そのうえ、教員の仕事は「属人化」している。保護者からは「あの先生は〜」といった人物評が飛び交い、同じ学校内でも方針や接し方にばらつきがある。その背景には、「授業がナンボ」という価値観が根づいている。たしかに授業力は教員の核だが、それだけで評価が決まってしまう風潮は、若手にとってプレッシャーでしかない。そしてベテランとの力量差や、資質・能力の違いが強調されすぎると、協働よりも孤立が進んでしまう。
だからこそ私は、教科と特別活動という“両輪”で教育をとらえたい。国語や算数などの教科が子どもの知的成長を促すなら、特別活動は人としての在り方、生き方を学ぶ場だ。行事や学級活動を通して子どもたちは、他者と協力し、話し合い、共に決める経験を積む。それは単なるイベントではなく、学級・学年・学校の経営にも繋がる教育の根幹だと私は考えている。
世界を見れば、戦争や分断のニュースが絶えない。結局のところ、「話し合い」か「殴り合い」か――究極的にはそのどちらかでしか物事は動かないという冷めた現実がある。でもだからこそ、「話し合える力」を育てる教育の意味が増している。特別活動を通じて子どもたちが“合意形成”や“共生共働”の精神を学ぶことは、小さな教室の中で平和をつくる営みでもある。
教育とは、単に教えることではなく、社会を創ること。その理不尽と戦いながらも、現場でその希望を実現しようとするすべての教師たちに、敬意と光を送りたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿