齢45なのですが、『「若者が」参政党を選んだ』というニュースを聞いたとき、私は違和感を覚えた。
それは参政党が声高に述べてた「日本人ファースト」という言葉の響きにあるのかもしれないし、投票率急上昇という現象の背後に潜む“沈黙している4割”の存在を感じたからかもしれない。
民主主義とは、誰の声を聞こうとする営みなのか?
今回の選挙で確かに投票率は57%まで上昇した。
街頭演説がSNSで拡散され、10代〜30代の一部が参政党を支持した背景には、“わかりやすさ”と“怒り”があるように思える。
その一方で、投票に向かわなかった4割の人は、いったいどんな言葉を待っていたのだろう。
「日本人ファースト」に違和感を覚えた理由
教育現場で働く私は、“誰も置き去りにしない”という理念に立っている。
「日本人」という枠が持つ曖昧さ。そこから排除されるかもしれない子どもたち。
多様性を掲げるカナダやスウェーデンの教育制度は、「違いは分断ではなく資源だ」と語る。
それに比べ、私たちの社会はまだ“関係ある/ない”の境界線に揺れている。
若者の政治参加は希望か、警鐘か
投票した若者は希望だろうか?
一方、SNSに反応はするのに、投票所へは向かわない層も多い。
「いいね」と「投票」──この間に横たわる現実的な距離は何か?
制度への不信感、生活との優先順位、情報への接続性。その一つひとつが「民主主義の温度」を左右する。
教室で問いたい:「聞こえていない声は、誰の声か」
政治的リテラシーは、正解を教えることではない。
それよりも、「どう問いを立て、誰の声に耳を傾けるか」を実践すること。
授業で「なぜ投票しない人がいるのか」と問えば、子どもたちは沈黙の意味を考え始める。
問いはいつも、未来への鍵になる。
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