「とはいっても、ブログに書きたくなる承認欲求お化けがいるんですよね。」
最近読んだ『ラーメンと瞑想』(宇野常寛)をきっかけに、自分の中にある“孤独”と“欲望”について考える時間が増えた。ラーメン屋で一人で食べる時間、瞑想で自分の内面に沈潜する時間——どちらも、他者との関係を断ち切るのではなく、自分自身とつながるための「孤独」だと感じた。
私は、昭和的な価値観の中で生きてきた。結婚して、子どもを育てて、戸建ての家を持ち、車もある。家族5人での暮らしは、日々の体験や旅行を通じて、子どもたちの成長を支える場でもある。教育者として、父として、私は「誰かのために在る」ことを軸にしてきた。
しかし、SNSや情報の氾濫は、常に「何者かになれ」と唆してくる。目立て、成果を見せろ、自分を定義しろ——まるで人生がプレゼン資料かのように。そんな時代の空気に、私は危機感を覚える。
それでも、ふとした瞬間に「自分の考えを誰かに伝えたい」とも思う。それは、教育に携わる中で、少しずつ積み重ねてきた考えと、ひとりの人間としての承認欲求が交差する瞬間だ。
「承認欲求お化け」は、敵ではない。
それは「誰かに届いてほしい」「自分の存在を確かめたい」という、根源的な欲求だ。
問題は、それをどう扱うか。
今回の記事を書いてる時に考えた事は
- この文章は、誰かの孤独を少しでも軽くできるだろうか?
- この気づきは、家族や子どもたちの未来にどうつながるだろうか?
- この承認欲求お化けは、何を怖がっているんだろうか?
そうすると、ただの「発信」ではなく、日常を哲学する営みになるのではないかと思った。
教育者が自分自身を教育する場にもなる。
「何者かになる」ことよりも、「何者でもない自分と向き合う」こと。
それが、今の時代を生きるための知性かもしれない。
そして、承認欲求お化けと手を取りながら、自分の歩幅で言葉を綴ること ——それが、私にとっての自己表現なのだと思う。

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