ゆるく連続更新。おかげさまで1000記事を越えました。さらに続けることによって見えてくることがあるのかなと。今のところありませんwただひたすらに更新し続けます。スポーツ、キャンプ、教育、育児、良書何でも書いてきます。
2025年11月22日土曜日
.1333〜あらためて「ロックオン!!」
2025年9月2日火曜日
.1332~腰痛と仲良く~
寝る前3分で腰が軽くなる。ベッドでできる簡単ストレッチ習慣
日々の忙しさの中で、腰の重だるさを感じることはありませんか?
私自身、小学校の現場と家庭の両立の中で、夜になると腰に疲れがたまっているのを感じます。
そんなときに出会ったのが、“寝る前にベッドでできる腰ストレッチ”。
特別な道具もスペースもいらず、静かな夜に心身を整えてから寝られるよう気をつけてます。
🔹 ストレッチ①:膝倒しで腰をゆるめる
仰向けで膝を立て、左右にゆっくり倒すだけ。
腰の緊張がほぐれ、呼吸も深くなります。
🔹 ストレッチ②:お尻と太もも裏を伸ばす
片足を反対の膝に乗せて、軽く引き寄せるポーズ。
腰痛の原因になりやすい中殿筋をほぐせるので、翌朝の動きが軽くなります。
🔹 ストレッチ③:ドローインで体幹を整える
お腹をへこませて呼吸を整えるだけ。
腰椎の安定性が増し、反り腰の予防にも。静かな夜にぴったりの“内側の筋トレ”です。
🌙 まとめ
寝る前の数分間、ベッドの上でできるこの習慣は、腰のケアだけでなく、心のリセットにもつながります。
「今日もよくがんばったね」と、身体に語りかけるような時間。
そんなストレッチ習慣、あなたの夜にも取り入れてみませんか?
📺 関連動画リンク
2025年8月25日月曜日
.1331~ 「承認欲求お化け」と教育者の自己表現:日常を哲学する試み~
「とはいっても、ブログに書きたくなる承認欲求お化けがいるんですよね。」
最近読んだ『ラーメンと瞑想』(宇野常寛)をきっかけに、自分の中にある“孤独”と“欲望”について考える時間が増えた。ラーメン屋で一人で食べる時間、瞑想で自分の内面に沈潜する時間——どちらも、他者との関係を断ち切るのではなく、自分自身とつながるための「孤独」だと感じた。
私は、昭和的な価値観の中で生きてきた。結婚して、子どもを育てて、戸建ての家を持ち、車もある。家族5人での暮らしは、日々の体験や旅行を通じて、子どもたちの成長を支える場でもある。教育者として、父として、私は「誰かのために在る」ことを軸にしてきた。
しかし、SNSや情報の氾濫は、常に「何者かになれ」と唆してくる。目立て、成果を見せろ、自分を定義しろ——まるで人生がプレゼン資料かのように。そんな時代の空気に、私は危機感を覚える。
それでも、ふとした瞬間に「自分の考えを誰かに伝えたい」とも思う。それは、教育に携わる中で、少しずつ積み重ねてきた考えと、ひとりの人間としての承認欲求が交差する瞬間だ。
「承認欲求お化け」は、敵ではない。
それは「誰かに届いてほしい」「自分の存在を確かめたい」という、根源的な欲求だ。
問題は、それをどう扱うか。
今回の記事を書いてる時に考えた事は
- この文章は、誰かの孤独を少しでも軽くできるだろうか?
- この気づきは、家族や子どもたちの未来にどうつながるだろうか?
- この承認欲求お化けは、何を怖がっているんだろうか?
そうすると、ただの「発信」ではなく、日常を哲学する営みになるのではないかと思った。
教育者が自分自身を教育する場にもなる。
「何者かになる」ことよりも、「何者でもない自分と向き合う」こと。
それが、今の時代を生きるための知性かもしれない。
そして、承認欲求お化けと手を取りながら、自分の歩幅で言葉を綴ること ——それが、私にとっての自己表現なのだと思う。
2025年8月6日水曜日
.1330~戦争や原爆を“自分事”にするには?——今の子どもたちへの伝え方と特別活動の可能性~
毎日暑いですね。どうか無理せず、エアコンをつけて涼しく過ごしましょう。
今日は——せめて今日くらいは、少し立ち止まって考えてみたいと思い、書いています。
教員として。そして一人の親として。
歴史を“知る”だけで終わらせないために第二次世界大戦、原爆投下、そして外国との価値観の違い——こうしたテーマは、社会科や歴史の授業でよく取り上げられます。けれど、今の子どもたちにとっては「遠い過去」「自分とは関係のない話」として受け止められがちです。
戦争を体験していない世代にとって、それを「自分事」として考えるのは容易ではありません。ですが、未来を生きる子どもたちだからこそ、「これからどうするか」を考える意味がある。その思考のきっかけになる場として、私は特別活動の意義に注目したいと思っています。
特別活動だからこそできること
教科は「知識を得る」場(対話的・深い学び云々はさておき)ですが、特別活動は「気づき、考え、対話し、行動に移す」ための場です。特に平和や人権といったテーマは、実感や感情を伴った体験的な学びによってこそ心に深く刻まれます。
実践例
・語り部の話を聞く会 体験を直接聞き、そこから「平和とは何か」を考える機会に。
・折り鶴やポスター制作による発信 平和への思いを、創造的な表現を通して形に。
・被爆者への手紙を書く活動 他者の痛みに寄り添い、自分の言葉で思いを綴る練習に。
・価値観の違いについて考えるワークショップ 「なぜアメリカでは原爆投下が正当化されるのか?」など、多様な視点を議論する場に。
…。学校行事として扱えないものでしょうか。広島や長崎では今日、登校日として平和への思いを共有する動きがあります。他の自治体では夏休み期間。指導するタイミングや方法が難しいという現実も、どこかにある気がします。
今の子どもたちに響く伝え方のヒント
過去の出来事を「自分事」にするために、子どもたちに届く工夫が必要です。
・物語を通じて心に訴える 『ちいちゃんのかげおくり』『はだしのゲン』など、感情移入できる教材を活用。
・映像や写真による臨場感の演出 被爆地の記録映像や風景を通じて、歴史を“体感”する。
・「今の平和はどう守れる?」という未来への問いかけ 過去を学ぶだけでなく、自分たちの未来を考えることで、主体的な学びにつながる。
・異文化理解を促す視点 外国の教科書の記述を比較し、国際的な視野で平和を見つめる。
…。教科横断的な学びとして、教科で培った知識の「出口」として、特別活動や学級活動で取り扱うことができるのではと思います。
歴史を未来へつなぐ学びとは
戦争や原爆は、単なる知識ではなく、「人間の尊厳」や「これからの生き方」に関わる深い問いです。
教科で知り、特別活動でつかみ、さぐり、見つけ、決めて、自分の行動へとつなげていく——。その学びのサイクルが成立したとき、子どもたちは過去から未来への橋を渡る存在となるはずです。
大人にできることは、その橋を支える足場を丁寧に築くこと。そして、一人ひとりが「自分事として平和を考える」学びの場を用意することだと思います。
教員として、私もまだまだ学びの途中。子どもたちや我が子と共に、これからも考え、歩んでいきます。
2025年7月29日火曜日
.1329~音楽と対話が交差する場所──DEADPOP FESTIVALの魅力とMAHの哲学~
2025年7月20日日曜日
.1328~ 教室から見る2025年参院選──「民主主義の沈黙の声」と若者たち~
2025年7月19日土曜日
.1327~教室の多数決が政治への無関心を育てている?~政治に無関心な国民はどこで育ってきたのか~
2025年7月15日火曜日
.1326~演説:未来への投資としての教育改革~
2025年6月27日金曜日
.1325“殴り合い”ではなく“話し合い”で生きるために~教室の中で育てる対話と共生の力~
2025年6月23日月曜日
.1324~【対話から見えてきた未来】政治とテクノロジーと、私たちの選択~
2025年梅雨はどこへ?というような夏の日。都議選から参院選へと、日本の政治は大きな節目にある。
そんな中、ふとした好奇心からAIと話し始めた。名前は「Copilot」。質問に答えるだけでなく、まるで思考の相棒のように、対話を通じて私の中にあった疑問や関心を、少しずつ言語化してくれた。
---
都議選から見えた、日本の“変化の胎動”
・都民ファーストが第1党に返り咲き、自民党が歴史的な敗北
・無所属や新興政党の健闘。特に国民民主や立憲の伸長が印象的
・注目の新党「再生の道」は議席ゼロも、大きな話題に
選挙結果を振り返る中で、私は「チームみらい」という政党の名前を思い出した。安野たかひろさん率いる、テクノロジーを軸に据えた新しい動きだ。
---
テクノロジー×政治の可能性
チームみらいのように「AIと対話できるマニフェスト」や、「1%の革命」という発想は、私にとってワクワクする響きを持っていた。そしてAIとの対話を通じて気づかされたことがある。
> 日本は変化を避ける文化がある。でも、それを打破できるのもまたテクノロジーかもしれない。
農耕社会の名残や集団主義、慎重な政治文化。そうした「動きにくさ」は決して思い込みではなかった。でも同時に、AI、電子投票、ブロックチェーン、業務自動化ツール…新しい技術が背中を押す力を持っているのも事実だ。
---
変化は“向こう”からは来ない。“私たち”から始めよう。
Copilotが言ってくれたひとことが、心に残っている。
> 未来は、つくるものですから。
選挙のニュースに疲れて、どうせ何も変わらないと冷めるのは簡単だ。
でも「自分にできることを少しでも考えてみる」――その姿勢こそが、変化の種かもしれない。
---
さいごに
今回のAIとの対話は、予想以上に濃く、面白く、考えさせられる時間だった。
政治や社会に向き合うのに疲れたとき、自分の考えを整理したいとき、言語化の相棒がそばにいるのは、案外心強い。
次に投じる一票は、ほんの少し違う気持ちで、ほんの少し深い確信を持って、投じられるような気がしている。



