灼熱の太陽の下、川崎の空に響き渡る轟音。雑多で自由で、時に攻撃的で、それでもどこか温かい(個人的なの感想です)──そんな音楽が一堂に会する場、それがDEADPOP FESTIVALだ。ジャンルや世代を越えて集まるオーディエンスの熱狂と、アーティストたちの本気がぶつかり合う空間には、音楽による“共生”と“対話”の種が確かに根付いている。
このフェスを主催するSiMのMAHは、ただのフロントマンではない。彼はジャンルを越えて様々なアーティストを招き、独自のカラーを作り上げてきた。その選定には明確な意志と戦略がある。ロック、メタル、パンク、ヒップホップ──あらゆる音楽が混ざり合い、共鳴し合う場を実現することは、MAH自身が長年世界へと進出し続け、音楽と格闘してきた証であり、SiMとして築いた信頼と覚悟の結果だ。
コロナ禍の開催だった2021年。あのときMAHは叫んだ。
「オリンピックは1万人入れてるのに、こっちは5000人。ちゃんとルール守ってやってんだよ。」
その言葉はただの報告ではなく、音楽の場が「真面目に、誠実に」運営されていることへの誇りであり、社会的な場としての責任の表明だった。音楽が軽視されがちな中で、「俺たちにも守るべきものがある」という姿勢を明確に打ち出した瞬間だった。
感染対策、人数制限、綿密な運営。それでも「音楽を止めない」ために彼が掲げた矜持は、多くのファンの心を震わせた。
観客同士、アーティスト同士、そして主催者との間に芽生える“共感”や“敬意”こそが、このフェスの真価であり。やはりライブである。是非、生で観て、聞いてほしい。
2025年のフェスに参加して強く感じたのは、DEADPOP FESTIVALが「信用できる場」であり続けていること。そして、それを率いるMAHの姿勢が、一貫して“真面目なフェスづくり”に向いていること。
(ただ、サークルモッシュ、ダイブは非常に多い。主催者は「悪魔」なので。)
そして、2025年には「来年は春開催に変更する」と明言。2日参加したが、たしかに暑すぎた。
ただ、教育現場で働くものにとって入学式前は、忙しすぎる。
でもチケットはもう購入済みだ。
春開催に向けて、どんなアーティストが集い、どんな新しい音楽体験が生まれるのか。MAHの音楽への愛と対話への姿勢を通して、これからのDEADPOP FESTIVALがさらに豊かで多様な場になっていくことを期待したい。