読み応えあります。遅いインターネット
教育を「社会に開く」のは誰か 遅いインターネット
『社会に適合する標準的な「国民」を再生産すればよかった時代はとうに去り、いまの教育に求められているのは、「いかに個々の資質や状況に応じた多様性を尊重しつつ、社会を変えうる個人を育むか」の標準化です。』
標準化、均質化、従順な子を育てるわけではなく、「自主、自立」「共生、恊働」の基礎を築くのが小学校だと思っていますが…。
いつかテストをなくして普段の子どもの姿をみとれる教員になろうと思っています。
他にも思っていることがありまして、
「子どもが学ぶ場所は学校だけではない」ということ。
仕事を放棄しているわけではなく、もっといろいろな場所、いろいろな大人、とかかわり合い、学んでほしいと思っています。
なので、学校と地域をつなぐ人材、企業でもかまわないでしょう。「社会に開かれた教育課程」は大人全員の役割であってほしいと願っています。
私自身は教育関係の仕事につき、子育て、子どもとの接し方、色々学べています。ぜひ終りの部分
「いっそ日本の全国民が、一生のうち一定期間は、必ず教師や公務員を経験する制度にしてしまってはどうか」
まったく同感です。世界から遅れをとっていると言わざるをえない日本の教育。頑張れ文科省、頑張れ現場の教員、がんばれ自分。
今日の一曲 宇多田ヒカル 「Keep Tryin’」
Keep Tryin’
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