毎日更新と言えど、芸能ニュースにはなるべく触れないぞと気もちを新たにする3児の父です。
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日本社会にとってコロナ禍とは何か | 宮田裕章 | 遅いインターネット
コロナについてはもちろん、さらに「教育の大切さ」に触れていて、励みになりました。
これからの教員の仕事は、与えられた問題を解く人材を育てるのではなく、人生の可能性を引き上げるとか、その人にとって必要なスキルのコーチングの力が必要。
これからの子どもは与えられた問題を解くのではなく、自分で問題を見つけていろいろな人と一緒に問いを立てて解く力が必要。指導要領にも謳われています。「変化の激しい社会で生き残る人材を育てる」必要性に迫られています。
今の職場でやっと「ZOOMでクラスミーティングをしよう」まできました。小学校におけるオンライン教育はまだまだなところがあります。
そこに「自宅にWi-Fi環境が、パソコンがない家庭があるので教育格差が…」「じゃぁ学校の先生が一人ひとりにプリントを配ります!!」という同調圧力が…。
「どうすれば情報環境の整っていない子どもたちをケアするか」を考えなければいけないのですが。
オンラインの授業にしたって「どう劣化しないか」ではなく「どう変えられるか」が議論の柱だと思います。
「じゃぁどうする?」
学校だけでは無理です。行政、政治の力が必要です。
「何を食べ、何を着て、どう遊んで、どう学ぶかはすべてつながっています。その中で自分は何に貢献できていて、そして何に貢献できていないのかということを含めて理解しながら社会活動をしていかなければならない。」
刺さりました。教員として親として、大人として示しがつく人間になる努力を続けます。
コロナについて…
「単に隣にいるだけで、まったく交流もないし、共感もしないけれど、とりあえず何も考えず協力するのだ」じゃないと感染症対策なんてできるわけがない。
自粛警察、県外ナンバー叩き、今すぐ解散お願いします。
国のこれからについて分水嶺に差し掛かっているなと。
「選択の必要性」
「したくない決断、仕事をするのが政治家」だと思っていましたが、昭和、平成を経て、令和…。変わっていきましょう。
そのためにも「自分たちはどうなりたいか」という基本ともいえる姿勢作り。
最近の受けもった児童をみていると
「自分で選べない児童」が多い気がします。(個人的見解です)
保護者、先生の話を鵜呑みにして「自分で考える」「自分で決める」経験の不足なのかなと思っています。(個人的見解)
育児をしている身としては「親の思い通りではなく、一個人として親を超え、自己実現を果たしてもらいたい」と切に願っています。そのための選択肢を示したり、今しかできない経験を積ませたりと労働時間とカットしてでも仕事で結果は出しつつ、自分の子どものために生きたいと願っている親がいます。
今日の一曲 RADWIMPS 「愛にできることはまだあるかい」
久しぶりに晴れ間を見れました。「映画『天気の子』公式サイト」から1年。
いかにストリングスを組み込むかですね。
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