私も耐え難い苦痛に苦しむなら「安楽死」を選びたいです。
離れて暮らす私の母も癌を患い、退院はしていますが、まさに「死」と隣合わせの生活をしています。
そんな母に毎週花を贈る生活が続いています。
(手軽に始めるお花のある暮らし Bloomee Life)
聞こえが悪いかもしれませんが私は母に1分1秒でも長く生きてほしいと強く願ってはいません。
自分の人生、好きに生きて、いずれくる死を受け入れる。そこに家族が口を出すのは果たしていかがなものでしょうか。
孫ができて、顔を見せることで喜ぶなら会いにいくし、コロナが心配だから無理して来るなと言われれば行かないし…。
幡野氏の話の中にあった
「死に方より生き方」
「誰かの幸せを願うために自分が幸せになる」
まずは自分が幸せになれるようにしなければ誰かを幸せにはできないよなと納得しています。
最近3人姉弟に伝えるのは「正直に伝えなさい」「まず自分の事をしっかりしなさい」です。親としてとやかく言いたくなるのですが、まずはこれでいいのではないのかなと思っています。
これから向き合う
生や死、周りからの同調圧力に抗う力も身につける必要があるのではと思っています。
とにかく
選択肢が広い、多い世の中であってほしいです。それを最後に選ぶのは自分自身なのだという事も合わせて。自分自身にも言い聞かせて…。
今日の一曲 宇多田ヒカル 「花束を君に」
とりあえず川崎に住む自分に「東京は~、東京は~」と勘違いしている母にそこくらいは口出ししたいですw
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