3児の父、教員をしていますがこんな日がありました。
- 娘の学校のPTAの集まりが平日午後、催される。
- もちろん自分は勤務時間中なので、年休申請。
- いつ終わるか分からないので、自分の子どもは放課後学童、ばあばの家へ
年休って「お休み」に使うものです。意地でもとって、子どもの帰りを家で待つのも嫌なのでお迎えまで行って「一緒に」帰ってきました。そして「一緒に」宿題や、明日の準備をして「一緒に」ばあばの家の途中まで行きました。
一方、PTAの会合も、学校についたら手を除菌をしたり、間を空けて並べられた椅子に座り、コロナ禍においても紙ベースのやりとり…。もやもやしました。30分かからなかったのが救いというべきか、いや、その短さにすら考えさせられます。
メールで済む話なのでは…。
情報化社会において、楽○やア○ゾン、フェイスブッ○には個人情報だいぶ提供していると思いますが、暮らしの中で効率化を図る場面はこういったところでもできないでしょうか。メールアドレスくらいは利用しちゃだめですかね?
以前、.275〜ベルマーク〜についてもふれましたが、学校、教育、家庭。変わっていかないと大変だよなとつくづく思っています。
子どもと「一緒に」できること、時間は限られています。何かできることはないか考え、行動していきたいものです。途中で分かれて歩いていく我が子の背中をただただ小さくなって行く姿を見守り、決意も新たにしました。
今日の一曲 マキシマム ザ ホルモン 『小さな君の手』~『maximum the hormone 』
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