2019年7月29日月曜日

.287〜恕の心〜

鴻上尚史が指摘する「不寛容社会」のメカニズム 原因にスマホ?
  • イライラを受け止められるくらい休みや余暇を楽しめているかどうか
  • スマホの功罪
  • 自意識の高まりと「正義の言葉」
  • 「自分に目を向けること」
3児の育児をしているとそりゃイライラする時あります。ただ、「小学校教員という計り知れないプレッシャー」から離れているので「いいからいいから」でなんとか乗り切っています。日頃のストレスをコントロールできれば、生きやすくなるのかなと実感中です。

一方、スマホは本当に我々の生活を「一部」、豊かにしたのかなと思います。自分の好きなコンテンツ、時間を創ることができますが、そこでは情報量はあまりに多く溢れ、正義の言葉が溢れ、果たしてその正義は是なのか非なのか、正解はあるのかどうか。取捨選択の連続なのかと思います。

私がこうしてブログを書いているのは自意識の高まりなのかもしれませんが、私自身としては・アウトプットとインプットの割合を意識して「頭でっかち」にならないように・教員をしているのだから「言語化」のスペシャリストになりたい・ただただ「毎日更新する」という目標を達成したいから書いていて、プレビュー数がどうの、フォロワーがどうのと考えている暇はありません。自分の得意、好みはあっても、それをしのぐ技術、知識をもっている方、上には上がいることを忘れずに、「自分ができることに目を向ける」ことが大切だと思いました。

「寛容な」「恕の心」があふれる社会になってほしいと切に願っております。

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