鴻上尚史が指摘する「不寛容社会」のメカニズム 原因にスマホ?
一方、スマホは本当に我々の生活を「一部」、豊かにしたのかなと思います。自分の好きなコンテンツ、時間を創ることができますが、そこでは情報量はあまりに多く溢れ、正義の言葉が溢れ、果たしてその正義は是なのか非なのか、正解はあるのかどうか。取捨選択の連続なのかと思います。
私がこうしてブログを書いているのは自意識の高まりなのかもしれませんが、私自身としては・アウトプットとインプットの割合を意識して「頭でっかち」にならないように・教員をしているのだから「言語化」のスペシャリストになりたい・ただただ「毎日更新する」という目標を達成したいから書いていて、プレビュー数がどうの、フォロワーがどうのと考えている暇はありません。自分の得意、好みはあっても、それをしのぐ技術、知識をもっている方、上には上がいることを忘れずに、「自分ができることに目を向ける」ことが大切だと思いました。
「寛容な」「恕の心」があふれる社会になってほしいと切に願っております。
- イライラを受け止められるくらい休みや余暇を楽しめているかどうか
- スマホの功罪
- 自意識の高まりと「正義の言葉」
- 「自分に目を向けること」
一方、スマホは本当に我々の生活を「一部」、豊かにしたのかなと思います。自分の好きなコンテンツ、時間を創ることができますが、そこでは情報量はあまりに多く溢れ、正義の言葉が溢れ、果たしてその正義は是なのか非なのか、正解はあるのかどうか。取捨選択の連続なのかと思います。
私がこうしてブログを書いているのは自意識の高まりなのかもしれませんが、私自身としては・アウトプットとインプットの割合を意識して「頭でっかち」にならないように・教員をしているのだから「言語化」のスペシャリストになりたい・ただただ「毎日更新する」という目標を達成したいから書いていて、プレビュー数がどうの、フォロワーがどうのと考えている暇はありません。自分の得意、好みはあっても、それをしのぐ技術、知識をもっている方、上には上がいることを忘れずに、「自分ができることに目を向ける」ことが大切だと思いました。
「寛容な」「恕の心」があふれる社会になってほしいと切に願っております。
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