小学校でも「リーダー」とか決めがち。全員にさせてイチロー氏の言う「何かを感じることができる子」になってほしいと願って響く支援してます。 https://t.co/sGok9gLNrk— ササカマ (@sasacama) November 20, 2019
- 子どもの中で、学校の中でとかく「リーダー」って決めがちじゃないですか?
- 「相手の気もちがわかるように」「何かを感じることができるように、経験を積ませる事の大切さ。
- 世の中いろいろな罪があるけど、「無関心」ってなかなかの罪と思いませんか?
それって、子どもの頃に「リーダーにまかせておけば」と「当事者意識の薄さ」が大人になっても残っているのかなと思っています。
私は絶対していないのですが学校で「いじめを無くすために」「宿題を忘れないために」「掃除をちゃんとやるには」とクラスで話合いをした経験のある方はいますでしょうか?
まぁその話合いに足りないのが「全員」の「当事者意識です」世の中にはいろいろな罪がありますが「無関心」はかなりの罪だと思います。イチロー氏の話す「何かを感じることができる人」は対話、学校でいうと話合いのなかで育まれるのかなと思います。
小学校の頃に「リーダー」「司会」「記録」「代表」いろいろな役割をすることってとても大事です。「非日常体験」「相手の気もちを理解する」などいろいろなよい側面があり、「学活」「学級活動」「特別活動」でその素地が養われます。ですので、きちんと学級活動、特別活動をしている先生はいないかぜひ、授業参観や、学校公開がある際は意識して見てみるとよいかと思います。
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