平成23年3月11日14時46分頃
あの日、私は校庭で体育のサッカーの授業をしていました。
外であんなに揺れを感じる地震はありませんでした。
プールが津波を起こして水を吐き出していました。
普段の備えから、校庭の中心に集まるよう声をかけ(記憶がない)たのか
行いのよい児童のみんなが自主的に集まっていたのか気づけば無事にしゃがんでいました。
初めて生まれた娘が4ヶ月目、目の前の児童の安否、家族の安否、ただただ不安でした。
学校から家まで…歩いたかな。ただただつながるのはTwitterだけで
人混みの中、東北の様子を見て息をのみました。
家族は無事、テレビも倒れていなく一安心したくらいの記憶です。あの日は。
なんだ、忘れてるじゃん、結構。
今は生きるのに精一杯なのでしょうか。
「あの日を忘れずに生きる」 だいぶ抽象的ですよね。
自分としては
- 自分の家族の命を一番に
- 眼の前の児童が困難を前にしても、自立し、協働して生きる術を身につけさせる
- そして自分もいつ終わるか分からない人生を必死に生きる
その1年後 ラゾーナのイベントにて。どんな顔すれば分からなかった…。 |
死者1万5893人、行方不明者2553人(2017年3月10日時点)という甚大な被害に遭われた方々、関係者、当事者の方にとっては
「大切な人が亡くなった」 「行方不明になった」と1万5893件 2553件の膨大な数の重大な事故、ショックが襲ったことも決して忘れてはならないでしょう。
それでも生きるとは…。必死に走りながら考えます。穏やかな一日でありますように。
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