2019年10月4日金曜日

.354~どちらでもよい~

私は、教育研究家の妹尾昌俊氏の記事を読んだり、講演を聞いたりしていて、いつも考えさせられています。氏がこの問題について整理してくれています。

1)筆算のミスを減らす(あるいは、確実な筆算の計算方法を習得する)ためには、定規を使うことは有効ではないか。
2)ちゃんとした線を引けるようになるために、定規を使う練習は、必要ではないか。
3)誰かだけOKと例外を認めると、学級がうまくいかなくなるのではないか。
4)夏休みの宿題として、160問も練習させることは、有効なのか。
5)定規を使っていないという理由で、やり直させるのは、妥当なのか。
6)そもそも、筆算をそこまで練習させる意味はあるのか。

私も自分が働くこの業界に「違和感」は常に感じています。個人的な考えとしては、

  • 定規を使おうが、使わないかはどちらでもよい。(定規を使えば見やすくなる、扱いが苦手な子もいることは考慮する。)
  • 「定規を使う練習」「筆算の練習」手段と目的は間違えずにしたい。
  • 「例外を認めない学級」って…。これから生きていく社会はどうなのでしょう。
  • 「宿題の量」は少なければ少ないほどいい。「させられる勉強」と「する勉強」
  • 定規を使っていないという理由でやり直しさせるのは妥当「ではありません」
  • 160問チェックできる教員を尊敬します。わたしはできません。

私が一番気になったのは「例外を認めると学級がうまくいかなくなる」という部分です。自主自立・共生協働の基礎を養う特別活動を指導していれば学級はうまくいき、学習効率、効果も上がるはずです。お互いの違いを受け入れられる学級を作る、安心して学べる学級を作るのが教員の仕事なのかなと私は思っています。

私がお世話になっている特別活動の資料が豊富にのっているHPです。
川崎市立小学校特別活動研究会
これからも違和感に負けずに社会で生きていく子どもと学んでいきたいです。

0 件のコメント:

コメントを投稿